どうもナス男です。
ブラック企業を一年で辞めたのち、今は愛知県でナス農家をしています。
今回は
「農家になって一番うれしかったこと、つらかったこと」
というテーマで書いていきます。
ナス栽培を始めて4年目、農家になって今年で9年目。
高揚感で寝られないほど嬉しかったことも、心臓がしめつけられるほどつらかったこともありました。
これから就農される方や、農業に興味のある方に参考にしてもらえたら幸いです。
一番嬉しかったこと
一番嬉しかった出来事は、
「初めて自分の名前のついた野菜が直売所で売れた時!」
です!
農業を始めて間もない頃は祖父の名前で市場やJAに出荷していたので、自分の名前で出荷できない物足りなさのようなものを感じていました。(親元就農あるあるです。)
じいさんの名前で出荷しているだけじゃ、つまらない!
産直では生産者の名前をつけて売るのが醍醐味!自分の名前で出荷して力試しだ!
という軽い気持ちで、その当時に試しに栽培していた枝豆を産直に出荷してみようと考えました。
無事に枝豆が収穫できて、いざ出荷初日。
突然、プレッシャーに襲われました!
自分の名前をつけて商品を売ることへの責任が、プレッシャーとして襲い掛かってきたんです!
社会人時代にも祖父の名前で出荷していた時にも、
商品や結果に対して100%の責任を自分が被るということは今までで経験したことがなく、僕にとっては未知の恐怖でした…
名前を出して売るのめっちゃ怖いじゃん…
ライバルも多いし…お客さんはオレの枝豆を買ってくれるだろうか?
産直なんてやめときゃ良かったなあ…
と心配事が尽きず、後悔しながらも枝豆を出品して帰宅しました。
そして夕方。
産直に寄って恐る恐る自分の出荷した枝豆が売れているか確認しに行くと…
なんと売り切れていました!!!
やった~~!
と思わず声に出そうになるのをこらえて心の中でガッツポーズ!…
売り残りの回収のない、手ぶらでの帰り道はなんとも言えない高揚感が続いて、その夜は寝つけませんでした!
たかが枝豆10袋、売上は1800円でした。
そこから経費を引けば、手元にはいくらも残りません。
でもたったの売上1800円が、その当時の僕には本当に価値がありました。
- 自分の名前で、
- 自分の力で、
- 自分で手間ひまかけて得た
1800円の売上は、ブラック企業で働いていた時の月給19万よりもうれしかったんです!
現在はナスを僕の名前で100%JAに出荷していますが、
その時の1800円の枝豆の売上が、間違いなく今も原動力になっています!
自分の商品でお金をいただくという有難さや責任を身に染みて理解した瞬間でした。
一番つらかったこと
農家になって一番つらかったこと。
それは、
「自分の作ったキャベツを、出荷せずにそのままつぶしたとき!」
です。
その年は暖冬の影響を受けて、全国的に露地野菜が飽和状態になっていました。
キャベツはその中でも特に価格変動のリスクが高い作物。
シーズンを通して、1玉で35~40円くらいにしかなりませんでした…
その当時僕の場合は、収穫出荷は業者に委託していたのですが、
価格暴落している年に強引に収穫を依頼してしまえば、人件費が払えずにマイナスになってしまいます。
悩んで苦しんだ挙句、決断をしました。
出荷せずに、そのままキャベツをつぶすことを。
正直キャベツを作っていれば、価格暴落なんてよくあることです。
作ったキャベツをそのままトラクターで潰すことも過去にもあったこと。
ただここまでの暴落は初めてで、良くなる兆しすらない年でした。
作った経費分だけはマイナスになり、その額マイナス100万円以上!
せめて経費を引いてプラスマイナス0ならまだよかったんです。
だけど利益マイナスで、しかも出荷もされずに潰すなんて。
- せっかく手間暇かけて、
- 時には徹夜して定植して、
- 毎日毎日努力したのに…
そう考えだすと、頭から離れず…
ため息ばっかり、しばらく胃痛が続きました。
本当につらくて、なにも手につかない日々が続いたのを覚えています。
まとめ:No pain, No gain.
いかがでしたか?
どんな仕事でもそうですが、いいこともあれば、つらいことも当然あります!
特に農業はなかなか思うようにいかず、つらいことの方が多いです。
(天候や相場などの外的要因をモロに受けるので)
むしろつらいことがほとんど!いいことなんてほんの少しです。
ほんの少しのいいことのために、今日も農作業を頑張っています!
つらいことが続いた時に、僕が拠り所にしている言葉があります。
No pain, No gain.(痛みを受け入れなければ、何も得られない。)
さあ明日もまた、ハウスに行って仕事しますかね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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